法話

人間は 本当のものがわからないと 本当でないものを 本当のものに しようとする

 

 

 

聞いた話ですが、画など古美術の商いする人は、本当とにせものとを見分ける目がきかないといけない。

それにはいつも本物を見ていること、本物に目がなれていれば、にせものはすぐに見破ることができるといいます。

宗教も同じ。

欲や怒り腹立ち、愚痴などの煩悩に満ちている「日頃の心」を本物と思っていると、その人生は「そらごとたわごと」でむなしく過ぎてしまう。

災いを除き、福を招きたいという根性で、おはらいをしたり、ご祈祷をしたり、豆をまいたり・・・などするのが宗教だと思っている人、迷信に走る人、また何事も金銭に換算して物事の価値を決めようとする人。

すべて我が欲得を本物にしている迷いの姿だと、仏教は教えます。

この迷妄を迷妄と気づかせてくださるのが、仏法の智慧の光です。

闇に闇をやぶる力はありません。

智慧の光に照らされてこそ、わが闇に気づかされます。

そしてその智慧の光に常に会っていくのが、生涯聞法という機縁であります。